大堀陶胎漆器 コーヒーカップ ソーサー付き
寄附金額
59,000円
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福島県を代表する伝統工芸同士のコラボレーションから生まれた「大堀陶胎漆器」です。
大堀相馬焼の自由な造形美と、会津漆器の漆を用いた独特の質感が見事に融合したこの作品は、両方の技法を組み合わせた唯一無二の存在です。
大堀相馬焼の器に、会津漆器の漆で丁寧に餌付けされた仕上げにより、陶器の温かみと漆のしっとりとした光沢が同時に楽しめる贅沢な逸品です。伝統の中にも新たな美しさを表現し、見た目だけでなく、手に取るたびに豊かな質感を感じることができます。
この大堀陶胎漆器は、歴史と技術が織りなす芸術品として、日常の中に特別なひとときを提供します。
【注意事項】
・本商品は漆器と陶器の素材を使用したコラボレーション商品です。電子レンジや食洗機のご使用はお控えください。
・洗浄する際は、やわらかいスポンジに中性洗剤をご使用ください。
・研磨剤や硬いブラシの使用は、表面を傷つける恐れがあるためお避けください。
・ご使用後は、柔らかい布で優しく拭いて乾燥させてください。
お礼の品について
容量
-
カップ 9cm×12cm×7.5cm 数量:1
ソーサー 16cm(径)×12cm 数量:1
事業者
- 大堀相馬焼 陶吉郎窯 大堀工房
お礼の品ID
- 6409052
お申し込みについて
申込条件
- 何度も申し込み可
発送期日
- 準備ができ次第、順次発送(受注生産品になります)
配送
- 常温便、別送、時間指定
お礼の品に関するお問い合わせ先
事業者 :大堀相馬焼 陶吉郎窯 大堀工房
連絡先 :090-2604-9890
営業時間:10:00-18:00
定休日 :毎週火曜日
⼤堀相⾺焼の窯元「⼤堀相⾺焼 陶吉郎窯」
宝暦⼗年(1760 年)の創業から続く「技術」と「精神」を今に受け継いでいる⼤堀相⾺焼の窯元

福島県の浜通り、福島県双葉郡浪江町にある陶吉郎窯。
近藤家陶業の始祖である⼀代⽬近藤平吉(1736〜1818)から脈々と受け継がれた「技術」と「精神」を今に伝えています。
伝統的な⼤堀相⾺焼だけではなく、古来の技術を今に復元し、現在の⽂化と融合させた新しい陶器へのチャレンジや普段使いできる使いやすい陶器・陶磁器を制作しています。
また、⾷器だけでなく、陶芸作家として、⽇展(⽇本美術展覧会)をはじめ、数々の展覧会で⼊賞をされています。
⼤堀相⾺焼とは
⼤堀相⾺焼は「相⾺野⾺追い祭」で有名な福島県浜通りの相⾺藩が⽣みだした全国無⼆の古美術陶芸品です。
徳川三代将軍家光からも、参勤交代の時に全国各藩から贈られる引出物の中で“最も価値のあるもの”とされたと⽂献にもあります。
その制作作技法は、数すくない陶匠の間で秘密とされ、星霜三百年以上を誇る窯元によってつくられています。
昭和53年に通商産業⼤⾂(現在は経済産業⼤⾂)により伝統的⼯芸品に指定され、国により伝統技術、技法の保護、保存し、産業活動として維持、発展の⽀援を受けています。

宝暦⼗年・1760から続く窯元が東⽇本⼤震災原⼦⼒災害で被災
福島県双葉郡浪江町にある陶吉郎窯は、近藤家陶業の始祖である⼀代⽬近藤平吉(1736〜 1818)は、江⼾旗本近藤登之助の六男として⽣を受け、京焼楽焼を修⾏し江⼾で楽焼師として創業しました。
安永六年(1777)会津藩より磁器焼師範として召し抱えられ、その後、三春藩に移り、⼗数⼈の弟⼦を養成し、多⼤な功績を残したようです。
⼆代⽬近藤陶吉郎(1789〜1857)は、三春で⽗平吉と楽焼の優品を焼いていましたが、平吉の死後、⽂政⼆年(1819)相⾺藩に⼤堀瀬⼾⽅として召し抱えられ、⼤堀の地に根を下しました。
⼤堀相⾺焼は、元禄三年(1690)の創業以来⽇⽤粗陶器をつくっていましたが、京焼楽焼の名⼯、近藤陶吉郎を召し抱えてから、制品の改良と多様化がはかられ、多くの優秀な陶⼯も養成されました。近藤陶吉郎は⼤堀相⾺焼中興の功労者といえます。
創業以来その技術と精神性は脈々と⼦孫に受け継がれ、現在は、第9代 近藤学、その後継者 近藤賢が「技術」と「精神」を今に伝えています。

しかし、2011 年に東⽇本⼤震災が発災、その後、福島第⼀原⼦⼒発電所の事故により、避難指⽰区域に指定され、その後、10 年以上、故郷にもどることができなくなりました。
新天地 福島県いわき市で作陶を再開

陶吉郎窯では、ガス窯や電気窯でも焼成していますが、なんといっても「登り窯」でダイナミックに作品を焼き上げる伝統的な焼成を⼤切にしています。
登り窯は、薪を燃やすことで、窯の温度を管理します。1200℃〜1300℃で焼成するため、約⼀週間、炎を絶やすことなく薪をくべ続けます。

いわき市に避難後、さまざまな不安・葛藤の中で、避難先のいわき市を新たな新天地として、作陶を再開しようと決意し、場所の選定や資⾦⾯の調整に全⼒で挑みました。
特に困難だったことが、「登り窯」の再建。どこでも作れるものではないので、再開までにかなりの時間を割く必要がありました。たくさんの⽅々に⽀援いただきながら、2018 年に⼤堀相⾺焼 陶吉郎窯 いわき⼯房で再開することができました。

故郷、浪江町⼤堀への想い
新天地いわき市で作陶を続けている中で、故郷、浪江町⼤堀で作陶する想いは、ずっと持ち続けていました。
⼤堀相⾺焼は、⼤堀の⼟を使って、⼤堀の地で作られてきました。⼤堀ではないところで作ったものは、⼤堀相⾺焼と呼べるのか、伝統的な技術や精神は、それが⽣まれた⼟地で育まれるべきものではないのか、そんな想いがずっと⼼の中にありました。
故郷、浪江町⼤堀への帰還

避難後、10 年以上が過ぎ、陶吉郎窯が本来存在する場所は、未だに帰還困難区域となっていましたが、窯元限定で帰還許可が出され、浪江町に帰還できるようになりました。すでにいわき市で⼯房を構えていましたので、帰還するか、このままいわき市で作陶を続けていくか、2 つの想いが交差し、悩む⽇々が続きました。ただ、「伝統的な技術や精神は、それが⽣まれた⼟地で育まれるべき」という想いのもと、故郷への帰還を決意し、2024 年 6 ⽉に帰還し、⼤堀⼯房を再開することができました。

これからも続く、⼤堀相⾺焼
⼤堀相⾺焼の窯元で帰還した窯元が、2024 年 6 ⽉現在では、陶吉郎窯のみ。
未だ帰還困難区域であることから⼈通りも少なく、夜になると周りには誰もいません。
そのような環境でも、浪江町⼤堀の地で作陶を続ける決意をした理由は、伝統の技術と精神の継承を発祥の地で残していきたいという想いと、たくさんの⽅々に私たちが作った作品を使っていただき、福島県浪江町⼤堀で、紡がれている⼤堀相⾺焼の伝統を感じていただきたいからです。
帰還までに 10 年以上という期間がかかってしまいましたが、たくさんの⽅々にご⽀援いただいた感謝の気持ちを作品に詰め込んで、これからも発祥の地で続けていきます。





